KAI FACT magazine
ハノイの地に根を張っていた、日本の職人気質とプライド。
FACT  No.02

ハノイの地に根を張っていた、
日本の職人気質とプライド。

ハノイ旧市街から車で北に走ること約30分。
タムさんが働くカイベトナムを訪れると、工場内では日本のクラフトマンシップを受け継ぐ次世代の作り手が真剣な表情で働いていた。
操業を始めてから来年で10年目となる今、彼らのモノづくりにおける信念とは?
写真上/チタンコーティングが施された二枚刃のカミソリを箱詰めする工程。細かい傷がないかと検品する目もかなり厳しい。
下/ステンレス製のニッパー爪切りを研磨するには繊細な技術が必要とされる。
写真右/マユ専用カミソリ「CAN ML」の約半数がカイベトナムで作られている。
左/工場設立当初は爪切りからスタートしたが、今ではハサミや包丁も製造。熱処理機は日本から持ち込んだもの。
社員食堂には卓球台。「昼休みはピンポン!」が社員たちの口癖だ。工場の敷地内にはサッカーグラウンドも併設していて、年に一度のKAIカップは社員総出の一大イベントである。
ステンレス刃物鋼の爪切りもついに最終段階へ突入。品質管理用手袋をつけ、目に見える傷だけでなく、カーブ刃の切れ味や持ち手の角度など、隅々まで細かくチェックする。つい先ほどまで卓球に汗を流していたサブリーダーも、このときの視線は真剣そのもの。
カイベトナムの男女比率は現時点で4対6。
平均年齢は28歳と若く、とにかく女性が元気。

日本からベトナムへと受け継がれたのは、
100年以上も続く、“心遣い”の精神。

右から、製造マネージャーの筒井赳夫さん。
工場長の河合良成さん。次長の奥田伸一さん。工場前にて。
 カイベトナムがハノイ近郊のタンロン工業団地内で操業を始めた2006年から、幹部候補社員が日本に渡航し、岐阜県にある貝印の工場で研修を行うという制度がある。そこで貝印が彼らに伝えていることとは、一体どんな内容なのか? 6年前にその研修を受け、現在はサブリーダーを務めるチュオンさんに話を聞くと、「モノづくりの〝視点〟」だと即座に答えが返ってきた。「それまでは作業の生産性の維持が役割だと思っていましたが、貝印の『野鍛冶の精神』に触れ、仕事の取り組み方が一変しました。〝使う人の用途や癖を理解して、ものづくりに活かす〟という、いわば〝心遣いの精神〟のことを指すのですが、人々がどんな暮らしの中でこの製品を使うかを想像することが、モノづくりの本質だと痛感しました。作って終わりという物視点ではなく〝人視点〟であると」。
 約60名で始めたカイベトナムも現在は774名に増え、事業も拡大。それに伴い、統括する側の難しさも倍増するかと想像できるが、「チュオンさんを始めとした次世代のリーダーたちが大動脈となり、新入社員に作り手としての意識を伝えてくれています」と工場長の河合良成さんは安堵と期待の表情を浮かべる。彼らの成長ぶりはここ数年の不良品率にも表れていると、製造マネージャーの筒井赳夫さんも言う。
「例えば、ステンレス面に0.1㎠の傷があるだけでNGなど、製品ごとに検品規格があるんです。が、現在の不良品率は0.1%にも満たないですね」。 日本で100年以上も受け継がれてきた貝印のクラフトマンシップ。その種はベトナムにも広がり、確実に芽を出していた。

ハノイの社食から

「うちの食堂では〈ソフィテルプラザホテル〉のチキンライスや〈ビンミン〉の焼き鳥と並ぶくらいの唐揚げが出るんですよ」と、ベトナムのグルメ事情に詳しい工場長がテンション高めに教えてくれた。早速、食堂へと急ぎ、大行列に並んでプレートを配膳台へ。すぐにテーブルへ持っていき、座った瞬間にぱくりと頬張ると、外はサクサクで中はジューシー! 噛むほどにナンプラーと醤油をベースにした甘辛のタレと肉汁が口いっぱいに広がり、とにかくご飯が進む。工場長が“ハノイ三大チキン”というのも納得!
昼の12時には約600平米の社員食堂が満員御礼状態に。
一年中ほぼ毎日出るスイカも甘くて美味。

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