2005年入社

研究 / 次長

玉置 司

PROFILE

玉置 司

玉置 司

学部
自然科学研究科
学科
特殊加工学専攻
出身地
岐阜県
趣味
ウォーキング、ゴルフ
特技
ギター、サッカー

インタビューINTERVIEW

バンドにアルバイト……
たくさんの出会いに
刺激を受けた日々

高校の頃は学校の先生に憧れていました。
そのために教育学部のある大学を受験したのですが、いずれも不合格。やむなく浪人することになりました。
浪人時代に改めて、自分は将来何をしたいのか真剣に考えました。その結果、学校の教師は思いの外、門が狭いということが分かり、もっと幅広く就職先の企業が選べるよう、地元・岐阜にある岐阜大学工学部電気電子工学科に進むことにしたのです。
大学では、勉学そっちのけでとにかく自由奔放に過ごしました。学生生活で中心になったのは、サークル活動とアルバイトです。
サークルはバンドサークルに所属。ヴォーカルとギターを担当し、J-POPや洋楽をコピーしていました。
アルバイトは、焼き鳥屋さんを選びました。特に「これをやりたい!」という希望はなく、家の近所に新しくオープンした焼き鳥屋さんに面接に行ったら「明日から来て」と言われたので始めた、という感じです。そのまま5年ほど続けました。
サークル活動にせよ、バイトにせよ、そこで出会った人たちは、出身も、育ちも、年齢も違う人たちでした。彼らとの交流は私の人生において今でも刺激を受ける大切なものになりました。

貝印入社の決め手は
面接で感じた居心地のよさ

大学生だった私が就職を意識し始めたのは、4年生になる直前の2月くらいのことです。今から考えれば、あり得ないほど遅いスタートでした。
当時は、勢いのあったIT産業を目指していました。また、父親が電子機器の基盤を作る仕事をしていたこともあり、それと似たような仕事を探していました。何をやりたいかというより、何を作っている会社か、を中心に探していたのです。
4年生にあがると、周囲の友人が次々に内定を取り始め、さすがに焦り始めました。本格的にきちんと探さなきゃな、と思っていた矢先に出会ったのが貝印でした。
当時、貝印の名前は知っていたのですが、具体的に何を作っている会社なのかはよく分かっていませんでした。しかし、不思議と面接が進むにつれ、貝印への興味がわいてきました。内定をもらった頃には、すっかり「この会社で働いてみたい!」という気持ちになっていました。何を作っているかとか、世界一のシェアを誇っているとか、そういったことよりも、面接を担当してくれた人たちの雰囲気がよく、いつしか貝印に対する居心地のよさのようなものを感じたことが、決め手となりました。

入社後の初仕事は
プログラミングを独学で学ぶこと

入社後、3カ月は研修期間でした。7月に入ると辞令が出て本配属となるのが慣例でしたが、私の場合は少し違いました。研修中の6月最終週に製造部長に呼ばれ、「プログラミングができるか?」と尋ねられたのです。大学の授業で経験があったので「はい」と答えると、私の配属先が研究部門に決定しました。
私が初めて手掛けることになった仕事は、製品の評価をするための試験機のプログラミングです。それまで使っていた試験機が古くなっていたこともあり、自社で作ることになったのです。学生時代に学んだ経験を活かせると思っていましたが、学生のときに学んでいたプログラミング言語ではありませんでした。その上、パソコンでモータを動かしたり、荷重を拾って画面に表示させたりするなど、まるで経験のないことばかり。こうなると、イチから学ばなければなりませんでした。
周りに分かる人もいませんでしたから、インターネットを駆使しながら、独学でプログラミングを覚えていきました。そうして試行錯誤した結果、最初に取り掛かった試験機のプログラムを完成させるのに、3カ月もかかってしまいました。その後も、ただモータを動かすだけでなく、社内ネットワークを駆使した動きだったり、生産設備と繋げたりと要求がどんどん高くなっていきましたが、必死に食らいついていったのを覚えています。

会社バックアップのもと
大学院で研究を続ける

プログラミングの仕事の一方で、私はカミソリの切れ味の研究をしていました。研究内容はどのぐらいの刃の角度があれば切れ味が今より向上するのか、どういう表面の処理をすれば刃の耐久性がどのぐらい上がるのか、というものです。
そのなかでヒットした技術があります。それが、超・硬刃技術と呼ばれるPINK技術です。これは、刃の材料であるステンレス鋼をセラミック化させ、硬くすることで切れ味と耐久性を向上させるもので、当社独自の技術です。現在も当社製品の多くに用いられています。
この技術は大きな評価を得ることになりました。そこで、私は岡山にある大学院で、この技術をさらに研究するという役割を与えられました。会社の厚意で、交通費などを全額支給していただくというバックアップのもと、仕事と研究の二足のわらじを履く生活を4年続けました。
もちろん、通常の業務の傍らで研究を続けていたので、肉体的にも精神的にも厳しい日々でした。しかし、会社と大学院で続けた研究の成果は、当社製品に大きく貢献しており、私自身にとっても貴重な体験となりました。

長年続けたプレイヤーから
管理者へと働き方がシフト

現在も、主な仕事は刃の研究です。カミソリと医療用刃物が中心です。
昨年までは4人体制の小さな部署でしたが、今年の春からは人員が11人と倍増し、さらなる刃の切れ味や耐久性の向上などを追求しています。
一方で、組織再編により私はプレイヤーから管理者へとその働き方が変わりました。どうすれば働きやすい環境が整えられるか。あるいは、それぞれの作業の進捗を正確に把握し、どこで滞っているのか、それに対してアドバイスをする、などが仕事の中心になりつつあります。
私はこれまで他部署に異動することなく、プレイヤーとして10年以上、刃の研究に携わってきましたが、こうした管理職の仕事はとても新鮮です。現在はマネージメントについて一から勉強している最中。学ぶべきことがたくさんあることは刺激があって楽しいです。
これまでも、ただ刃の研究をしているだけでなく、他部門や生産現場である工場などと綿密なコミュニケーションを図りながら仕事を進めてきました。そういう意味では、人と人とのコミュニケーションを大事にするという点でさほど変わりはないと感じています。

昔の仲間が集まって飲むのは
自分を見つめ直す貴重な時間

休日の過ごし方は、まるでルーティンのように決まっています。
土曜日は朝6時に起床。その後、ゴミ捨てをして、犬を散歩に連れていき、ゴルフの練習をするなどして午前中を過ごしています。子どもが水泳を習っているので、プールへの送迎などもやっています。それが毎週土曜日のルーティンです。
日曜日は、子どもと一緒に山登りやハイキング、町を散歩するなど健康に気遣った行動をしています。一人でジョギングをすることもありますが、子どもと一緒に行くことが多いです。家族で出掛けることももちろんあります。
また、年に2回ほど、学生時代の仲間と集まって飲んでいます。かつての仲間が今、どんな生活をしているのか、何に悩んでいるのかを聞くことは、自分の暮らしを見つめ直す上でも非常に貴重な時間になっています。
学生時代は勉強よりも遊びが中心だった私ですが、彼らと会って話をしていると、本当にいい仲間をもったな、いい学生時代を過ごしたな、と思います。この関係は、大学卒業後から10年以上も続いています。

会話を楽しめる人が
貝印に向いている

研究部門というと堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、私の目下の目標は、他の部署から「あそこの部署は楽しそうに仕事をしているな」「おもしろそうな部署だな」と思ってもらえるような組織にすることです。
私の信条は、人生のほとんどを過ごすことになる仕事の時間は、なるべく楽しいものにしたいということ。
現在、私はプレイヤーから管理者としてシフトしつつありますが、一緒に働いてくれている部下たちにも、そんな風に感じてもらえたらいいな、と思って立ち回っているつもりです。そのために必要なのは、コミュニケーションだと思います。
例えば、研究職を考えてみても、自分一人だけで完結する仕事はありません。仕事にはさまざまな役割分担があり、一つの製品だけでも、多くの部署が関わってきます。それらがうまく噛み合うことではじめて、一つの成果物につながるものです。その潤滑油となるのがコミュニケーションです。
ですから、新しく仲間になってくれる方たちには、人と話すことが好きな人であってほしいという気持ちがあります。「やったことがないから」「専門外だから」と避けて通るのはもったいない。ものづくりが好きで、人と話すことが楽しいと感じる人には、どんどん貝印にチャレンジしてもらいたいと思います。

SCHEDULE

スケジュール

1日のスケジュール

8:00~ 出社
8:20~ 朝礼
8:30~ メール確認、勤怠管理
9:00~ 個別に各案件の進捗を確認
10:00~ 打ち合わせ・会議
12:00~ 昼食
13:00~ サンプル試作
14:00~ 測定業務
15:00~ データ集計・レポート作成
15:30~ データの解析・考察
16:00~ データに関して担当者とミーティング
17:00~ メール確認・明日の予定確認
17:30~ 帰宅